top of page
~ メンバー プロフィール ~
小西 康久1959/11/9東京府中刑務所裏に誕生。小4の冬自宅前で,あの"三億円事件"発生。偶然,父が一部始終を目撃,"時の人"となる。当時から手先が器用で,3歳上の姉の中学家庭科宿題をすべてやっていた。中学では美術・技術家庭で抜群の成績を修めるも,その技術はもっぱら制服・自転車の改造と髪型のセット?に費やされた。"CAROL"を聴きまくるファンキーモンキー中学生だったが,高校へ入るとCAROLは解散,"キャンディーズ"へシフトチェンジ。バックの"MMP"(後のスペクトラム)に憧れる。その頃すでに"忌野清志郎"は地元の英雄で通学路に本物の"多摩蘭坂"があった。二十歳で俳優になるべく,超難関"オンシアター自由劇場"に目出度く入団。並み居る先輩・同期を押しのけ一年目から大抜擢,"小道具チーフ"を不動のものにする。マリリン・モンローが好きで"お熱いのがお好き"のトニーカーチスを見て"テナーを吹けば女にもてる"と思い,SAXを始める。劇団解散まで15年間,ほぼ全作品に出演。その後も恩師串田和美・久世光彦・堤幸彦など錚々たる演出家から声が掛かり数多くの舞台・TV・映画に出演。代表作...う~ん・特になし | 内田 紳一郎1960年あたりの大寒に東京の下町、荒川産婦人科にロン毛の赤子として産声を上げる。三つの時、千葉県の城下町、佐倉に移住。江戸時代は西の長崎、東の佐倉と言われた蘭学の盛んな藩だった。さくら幼稚園、佐倉市立第一小学校、佐倉中学校、佐倉高校と佐倉のエリートコースを歩む。ちなみに高校の担任の先生は、女子マラソンの名翁小出義雄氏。と、ここまでは、真っ当な道を何とか進んできたが、大学は独協大学に入学して、芝居漬けの日々を送ったおかげで芸の道に方向転換。自由劇場の門を叩き、叩き過ぎて壊れるまで、居続けた。音楽の素養は、ヤマハオルガン教室に始まり、中学で、ビートルズに出会い、仲間とコピーバンドを結成。担当はジョージ。因ってエレキギターを親にねだる。高校でディープパープル、レッドゼッペリン等バリバリやっていたが、ロックの象徴ロン毛が徐々に後退。愕然とし、ジミーペイジに憧れていた青年はどうしても許せず、ミュージシャンを断念するも、劇団が、楽器が出来ないと芝居に出してもらえないので、当時貧乏だった青年は友人から強引に借り受けたトランペットを海辺でひたすら練習し、何とか役にありつく。そして、、と今回はここまで | 片岡 正二郎担当楽器 ヴァイオリン・マンドリン・唄 誕生日 1962/5/15 出身地 福岡県 好きな食べ物 美味しいとんかつ(ヒレ) 嫌いな食べ物 不味いとんかつ 好きな映画 ルイ・マル『鬼火』、マルクス兄弟 好きな妖怪 ハーポ・マルクス 好きなことわざ 棚からボタモチ 嫌いなことわざ 楽あれば苦あり 特技 物忘れ 弱点 物忘れ 口ぐせ あれ、なんだっけ? 生まれ変わったら 神様 無人島に持っていくもの 都会 私のアイドル 十代目桂文治、桂木文 |
---|---|---|
花島 英三郎1963年(昭和38年)1月18日静岡県浜松市生まれ。小さい頃から音の出る物が大好きでいじっては遊んだり壊したりしていた。中学に入った頃から始めたトロンボーンで身をたてようと考えはじめたのは大学に入った頃。当時、大学のクラブのOBに多くのミュージシャンがいたおかげで4年生の頃から仕事として楽器を吹きはじめる。以降、ダン池田とニューブリード、岡本章夫とゲイスターズ、森寿男とブルーコーツなどをはじめとする数々のバンドに参加、音楽家修行の道に入る。そうした活動の一方で、友人ミュージシャンの紹介で参加した自由劇場の舞台、渋谷文化村にあるシアターコクーンのこけら落とし公演「A列車」に出演。おかげであの「上海バンスキング」や「もっと泣いてよフラッパー」「コメディアピノキオ」など数多くの公演にも参加してきた。また現在、山田壮晃 & BIG BANG Orchestraでリードトロンボーンとしてもプレイしている。 | スティーヴ エトウ1958年L.A.生まれ。父は箏曲家 故・衛藤公雄。弟は和太鼓奏者のレナード衛藤。1964年初来日?80年代よりバンド活動を始め、爆風銃(バップガン)、PINK、PUGSなどのバンドで活動。演奏家としては小泉今日子のデビューツアーから始まり藤井フミヤ、大黒摩季、及川光博、COMPLEX、布袋寅泰、堂本剛などさまざまなアーティストをサポート。20年を超えて活動するバンド、デミセミクエーバーを継続させつつ、各地でのソロ・ライヴも活発。 この十年は奄美群島にただならぬ縁を感じ、ハブ皮の工芸品店 原ハブ屋奄美 公認はぶ大使として各地で奄美に関わるイベントなどを立ち上げたり、出身アーティストとのコラボなどを行なっている。ただし、けしてハブの全国普及につとめているわけではない。 | |
ワタナベエス担当楽器 ベース・フルート 誕生日 1967/8/16 出身地 鳥取県 好きな食べ物 タマネギ、グリンピース 嫌いな食べ物 カニ 好きな映画 遊星からの物体X 好きな妖怪 怪物くん 好きなことわざ 金鳥の夏、日本の夏 嫌いなことわざ 石の上にも三年 特技 自転車を作る。家電の修理 フラワーアレンジメント 弱点 寒さ、カニ 口ぐせ あ~それだめなんだよね~ 生まれ変わったら チャールズ・ミンガス 無人島に持っていくもの 自転車 私のアイドル ジュリア・フォーダム 2003年バチカン加入 「PINK」のファンだったためメンバーだったスティーヴさんには今でも緊張している。 他に「京浜ライナーズ」、片岡正二郎と共に「くものすカルテット」で活動中 | 熊谷 太輔ドラム、パーカッション奏者 北海道出身。上京後はZABADAK、 バロンと世界一周楽団、白崎映美、METROFARCE(伊藤ヨタロウ)、coba、 あがた森魚、くものすカルテット等 さまざまな音楽家と共演。 2011年には、梅津和時、鬼太鼓座らとサウジアラビア、チェコ、ドイツ遠征ツアーに参加した。 また演劇の分野では串田和美演出のコクーン歌舞伎や沢田研二の音楽劇に出演するなど、ジャンルを選ばず多方面で活動中である。 | 鈴木 光介音楽家。 1979年、茨城生まれ。 2000年よりピクニックバンド「時々自動」に参加。以降の時々自動の全作品に出演、作曲、演奏を担当。 2012年以降、ナイロン100℃、東京乾電池など舞台音楽作曲も手がける。 |
bottom of page